この番組は作家・文献学者の山口謠司が、日本の食文化を通して全国各地で育まれてきた“日本ならではの知恵”を紐解くポッドキャストです。(FMラジオ局 J-WAVE 81.3FM では毎週月曜日から木曜日11:40〜11:50にオンエア中。)Navigator:山口謠司(http://abocavo.a.la9.jp)Sponsor:PLENUS( www.plenus.co.jp) / PLENUS 米食文化継承活動(https://kome-academy.com/)Production:E.A.U(www.eau.co.jp)
2026年9月29日 · 8:54
インスタントカメラ、コーヒー、ラーメン。「インスタント」という言葉から、いろいろなものが浮かびます。1958年、安藤百福さんが大阪・池田の自宅裏の小屋で試行錯誤を重ね、誕生したのがチキンラーメン。当時は「魔法のラーメン」とも呼ばれました。その後アメリカで、丼の代わりに紙コップへ麺を割って入れて食べる姿を見たことが、食習慣の壁を越えるカップヌードルへとつなが…
2026年9月28日 · 8:52
現代のインスタント食品といえば、ラーメンやレトルトカレーが思い浮かびますが、その原型ともいえる食べ物は平安時代にもありました。在原業平がモデルとされる『伊勢物語』第九段では、都を離れて東国へ向かう男が、三河国の八橋で「乾飯(かれいい)」を食べようとします。乾飯は、炊いたり蒸したりした米を乾燥させ、旅に携帯した保存食。カキツバタを折句にした「唐衣…
2026年9月24日 · 8:55
「発酵」の「発」は、もともと弓が勢いよく飛び出すことを表す字。「酵」は酒へんで、お酒を作る「醸す」につながります。お米や麦、大豆が、もくもくと湧き返るように変化し、酒や味噌などへ姿を変えていく発酵。千葉県の神崎町には、全国で初めて発酵をテーマにした「道の駅…
2026年9月17日 · 8:54
江戸時代、人をつないだのは街道でした。明治になると、その役割を鉄道と新聞が担うようになります。1871年、横浜で日本初の日刊新聞「横浜毎日新聞」が創刊。開港後の横浜には海外の出来事だけでなく、牛乳、牛肉、パン、西洋野菜など、初めて見る食べ物も次々と入ってきました。1869年には馬車道で日本人によるアイスクリンの販売も始まり、食べ物そのものが新しい時代を知ら…
2026年9月16日 · 8:54
古代中国では魚、中でも鯉は大切な存在でした。孔子は息子に「鯉」と名付けています。鯉が川を上り、登竜門を越えて龍になるように、息子への期待を託したのかもしれません。また中国語では「魚」と余裕の「裕」が同じ発音で、魚にはゆとりや豊かさにもつながるイメージ。横浜中華街の朝陽門を見上げると、そこにも二匹の金色の龍。門をくぐって老舗北京料理店へ向かい、いただきたいの…
2026年9月15日 · 8:54
横浜・山下町にあるシルク博物館。繭から糸が生まれ、布となり、着物やドレスへ姿を変えていく絹の文化に触れることができます。横浜と絹の深い関係は幕末の開港から。埼玉、山梨、群馬、栃木などで育てられた蚕の繭は生糸となり、横浜から世界へ渡って、日本の近代化を支えました。その陰にあったのが農家の営み。米を作りながら蚕を育てていました。1959年、横浜開港100年を記…
2026年9月14日 · 8:54
横浜は、1859年の開港以来、生糸貿易などを通して、日本と海外との交流を支えてきた街です。本牧ふ頭にはキリンのようなクレーンが並び、大さん橋や新港ふ頭には国内外の客船が発着。大黒ふ頭では自動車の輸出入も行われています。そんな横浜で、私が大好きなのがホテルニューグランドです。関東大震災からの復興のシンボルとして建てられ、1927年に開業しました。館内には、再…
2026年9月10日 · 8:53
古代から現代まで、都が何回変わったのかは数え方によって違います。大きく見れば、飛鳥から藤原、奈良、長岡、京都、そして江戸へ。この飛鳥・藤原の時代、東京周辺は武蔵国と呼ばれていました。驚いたのは、現在の埼玉県美里町辺りから一斗五升もの鮒が飛鳥へ献上されていたこと。藤原宮跡の木簡からも、武蔵国の薬草をはじめ、群馬の鮎、福井の塩、出雲の魚、徳島のイノシシの干し肉…
2026年9月9日 · 8:53
694年、飛鳥からわずか4キロほど離れた藤原京へ都が移されました。歩けば一時間ほどですが、日本という国家を成長させるための大事業だったに違いありません。唐が急成長する時代、日本も独立した国として、役所や道路、区画を整えた本格的な都を造る必要がありました。飛鳥から藤原京跡へ歩く途中、柿の葉寿司を頬張りながら、ぜひ坊城駅を目指すしてください。駅前には、蜜ときな…
2026年9月8日 · 8:53
飛鳥というと橿原市だと思っていましたが、世界遺産となった飛鳥は奈良県高市郡明日香村。藤原宮跡は橿原市、長谷寺は桜井市にあります。世界遺産を訪ねるなら、ぜひ味わいたいのが三輪そうめん。「そうめん處 森正」は江戸を感じる構えで、にう麺や柿の葉寿司、むかごなど奈良らしい味が並びます。この辺りは近松門左衛門『冥途の飛脚』にも登場する土地。そうめんをいただいていると…
2026年9月7日 · 8:52
今年7月、ユネスコの世界遺産に登録された「飛鳥・藤原の宮都」飛鳥には、石舞台古墳や高松塚古墳、キトラ古墳など、教科書で見た歴史の舞台が広がります。中でも石舞台古墳は、当時最大の豪族・蘇我馬子の墓ともいわれています。飛鳥時代は、推古天皇を中心に、聖徳太子が政策を進め、蘇我馬子が実務を担い、日本という国の基礎が形づくられた時代です。そして飛鳥には、昔から鳥が飛…
2026年9月3日 · 8:54
利根川は田んぼに水を届けるだけでなく、土砂を運び、加須の広く肥沃な大地そのものを作ってきた川です。加須市はおよそ半分が農地、その約85%が水田で、米の生産量は埼玉県内第一位。ここで新しい米作りに取り組んでいるのがプレナス埼玉加須ファームです。僕も昨年、田植えと稲刈りを体験しました。田んぼは自然と人間の間を取り持つ環境ではないか、と思いました。田植えの後には…
2026年9月2日 · 8:55
平成国際大学のある埼玉県加須市。風が吹くたびに稲穂が揺れ、都心から一時間とは思えないほど清々しい田園風景が広がっています。大学内のサトエ美術館には、加須出身の画家・斎藤与里の作品も収蔵されています。加須に生まれ近代を生きた人たちをたどっていくと、やはり田んぼという原風景に行き着くように感じます。その田んぼを利用して加須で養殖されているのが、琵琶湖原産の小魚…
2026年9月1日 · 8:55
加須には埼玉・栃木・群馬が接する三県境があります。平地にあり、実際に歩いて県境をまたげる珍しい場所です。さらに渡良瀬遊水地には、ハート形の湖を望む「道の駅かぞわたらせ」。ここにはFMわたらせがあり、平成国際大学の学生による番組や、災害時に備えたアマチュア無線の活動も行われています。道の駅には三県から美味しいものが集まり、群馬県板倉町から届いた「輝きの赤い太…
2026年8月31日 · 8:52
東北自動車道を走って、久喜白岡ジャンクションから加須あたりに入ると、田園風景が一気に広がります。僕が教えている平成国際大学の周りも田んぼだらけ。5月の田植え前には、黄金色に輝く小麦畑が広がっていました。「麦秋」と呼ばれるこの風景を見て思い出したのが、小津安二郎監督の映画『麦秋』。白黒なのに、黄金色の麦畑が見えてくるような日本の原風景です。…
2026年8月27日 · 8:55
能登には18種類の「能登野菜」があります。能登長なす、能登金時、能登大根、小菊かぼちゃ、沢野ごぼう、そして中島菜。中島菜は野沢菜に似た葉物ですが、口にすると鼻にすっと抜ける独特の爽やかさがあります。今回訪ねた天領黒島(輪島市門前町黒島町)では、重要文化財の黒瓦の家並みが震災で大きな被害を受けました。それでも先祖代々の土地を離れず、そこでしか生まれない野菜を…
2026年8月26日 · 8:55
能登に行ったら食べたかった岩ガキ。大きく重い殻に守られた身は、日本海の荒波で育った力強さを感じます。今回いただいたのは「柴垣天然岩ガキ」。海中から湧き出す真水と海水が混じり合う環境で育ち、一口では食べられないほどの大きさ。味も深く濃厚で、まさにカキを食べたという満足感でした。そして、さらに珍しいのが珠洲の「黄金岩ガキ」。潮の流れによって海底の砂に磨かれ、殻…
2026年8月25日 · 8:54
能登へ行くなら、ぜひ飛行機で。現在は「のと里山ポケモン・ウィズ・ユー空港」として、空港いっぱいにポケモンが登場し、能登半島の復興を応援しています。能登の魚といえばノドグロ。赤金色の体に大きな目、口の中は真っ黒。白身のトロと呼ばれるほど脂がのり、塩焼きが大好きですが、能登では甘辛く炊いた煮付けもおいしいそうです。そして一緒に食べたいのが輪島・白米千枚田のお米…
2026年8月24日 · 8:53
石川県では今、震災復興のキャンペーンが行われていて、対象のお店で使えるクーポンがあります。そこで皆さんと一緒に、輪島のお寿司屋さんへ行ってきました。加賀から輪島へ向かう途中、砂浜を車で走れる千里浜なぎさドライブウェイを通ります。ところが輪島への道は、まだ復旧工事の真っ最中。片側通行も多く、大きな工事車両が行き交っていました。ようやく着いたお寿司屋さんで、最…
2026年8月20日 · 8:55
六月半ばに宮古島を訪れました。曇り空でしたが、ホテルでは「曇りの日こそ紫外線に気をつけてください」と教えられました。曇りでも日焼けをし、目から入る紫外線でも体は疲れるため、サングラスも大切だそうです。先日、小学校の理科では、バナナに日焼け止めクリームを塗って紫外線による皮の変色を比べる実験をしていました。バナナと言うと宮古島では手のひらサイズの宮古バナナが…
2026年8月19日 · 8:54
島で育ったこともあって、島には特別な魅力を感じます。本土から海で隔てられているからこそ、その土地だけに残る動植物や風習、文化が受け継がれ、日常を離れた時間を過ごすことができます。宮古島を代表する伝統行事の一つが「パーントゥ」。全身に泥をまとった来訪神が集落を巡り、人々に泥を塗って厄を払う祭りで、代々受け継がれてきた仮面や神聖な井戸の泥が用いられます。この「…
2026年8月18日 · 8:54
トウモロコシの季節を迎え、店頭にはゴールドラッシュやサニーショコラ、きみひめ、ドルチェドリームなど、甘さや食感に個性を持つ品種が並びます。糖度20度に達するきみひめは、スイーツ代わりに楽しむ人も増えているそうです。子どもの頃はトウモロコシではなく「トウキビ」と呼んでいました。「トウ」は外来、「キビ」と「モロコシ」はどちらもイネ科の植物を指し、かつては区別さ…
2026年8月17日 · 8:55
羽田から飛行機でおよそ3時間。美しいサンゴ礁に囲まれた宮古島へ、3泊4日で行ってきました。海で泳いで、頭も体もすっきり。北にある池間島の近くでは、まるでパウダースノーのように真っ白でサラサラな「雪塩」に出会いました。そして楽しみにしていたのが宮古牛。島で育つ黒毛和牛で、なかなか島の外では味わえない貴重な牛肉です。温暖な宮古島では、一年を通して牧草が育ち、牛…
2026年8月13日 · 8:53
卵かけご飯に合う醤油は何でしょうか。たまり醤油、濃口醤油、薄口醤油。同じ醤油でも、それぞれ味わいや役割が大きく異なります。醤油の原型は、味噌を仕込んだ時に自然とにじみ出る液体だったといわれ、そのまま汲み取ったものが「たまり醤油」です。濃厚な旨味と粘りがあり、味のしっかりしたブリやマグロ、カツオなどの刺身によく合います。一方、大豆と小麦を使った濃口醤油は香り…
2026年8月12日 · 8:54
加賀を初めて訪れた時、お刺身は絶品でしたが、醤油の甘さに驚きました。しかし、何度も足を運ぶうちに、その土地の魚にはその土地の醤油が一番合うと感じるようになります。醤油の味は地域の文化や歴史を映す鏡でもあります。キッコーマンの調査でも、関東は塩味と香りの立った濃口、関西は素材を生かす淡口、九州は甘味の強い醤油が好まれるなど、地域ごとの特徴が明らかになっていま…
2026年8月10日 · 8:54
もうすぐお昼ですね。今日はうどんを食べようという方も多いかもしれません。そこで注目したいのがお醤油です。実はヨーロッパに初めて伝わった醤油は、江戸時代に長崎・出島からオランダへ運ばれたものといわれています。その当時の醤油を再現した「コンプラ醤油」も販売されています。一方、長崎県西海市の離島・江島では、今も昔ながらの手作り醤油づくりが受け継がれています。大豆…
2026年8月6日 · 8:54
結城紬の産地を訪れると、着物は日本人の所作や美意識を育んできたものだと感じます。帯を締めれば自然と背筋が伸び、歩き方や立ち居振る舞いにも気を配るようになります。結城には、天保の改革を進めた水野忠邦の墓もあります。厳しい倹約令で知られる一方、母は江戸・京橋の老舗菓子店「風月堂」の出身という意外な縁も残されています。さらに結城には、二百年以上続く醤油蔵「小田屋…
2026年8月5日 · 8:55
結城は結城紬で知られる町ですが、その着物を守ってきた桐箪笥の文化も欠かせません。群馬県桐生から結城にかけては桐の産地で、地名にもその歴史が残されています。一方、結城は四百年にわたり乾麺づくりが受け継がれてきた土地でもあります。俳人・与謝蕪村は十年ほど結城に暮らし、「狐火や五助新田の麦の雨」の句を詠みました。広々とした田園に広がる麦畑の風景は、乾麺づくりの営…
2026年8月4日 · 8:55
結城は鬼怒川と田川に育まれた水の豊かな町です。鬼怒川は、絹づくりを支える川として「絹川」とも呼ばれたと伝えられています。蚕は桑の葉を食べ続け、やがて約1500メートルもの糸を吐いて繭を作ります。その静かな営みに、結城紬の原点を感じました。続いて味わったのは、昔ながらの製法で仕込まれた「紬味噌」。原料には宮城県産の立長葉大豆が使われ、その形は繭によく似ていま…
2026年8月3日 · 8:53
結城を訪ねてきました。東京から新幹線で小山へ、そこから水戸線でわずか7分。駅にはお蚕をイメージしたかわいらしいデザインが迎えてくれます。結城といえば、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている結城紬。鎌倉時代から受け継がれ、「三世代着て初めて味が出る」と言われるほど長く愛される着物です。今回は「蚊絣」という繊細な柄や、麻を織り込んだ涼やかな夏結城にも触れ、その…
2026年7月30日 · 8:54
愛媛で行ってみたかった場所「石鎚山(いしづちやま)」。石鎚山は修験道の霊場として知られ、役小角(えんのおづぬ)が開山したと伝えられています。道後温泉の湯が白鳳地震で止まった際、役小角が石鎚山に神を祀って再び湯を湧かせたという伝説も残っています。宇和島出身の版画家・畦地梅太郎は、16歳で上京して印刷局に勤める中で版画の世界に入り、故郷・愛媛の山々を題材に独自…
2026年7月29日 · 8:54
宇和島ではなんといっても鯛めし定食。地元では「鯛めし」ではなく「日向飯(ひゅうがめし)」と呼ぶそうです。黒潮が宮崎の日向から豊後水道を北上してくることから、その名が付いたといいます。定食には、おからを酢で締めて小魚をのせた郷土料理の丸寿司も添えられていました。米は年貢として納める貴重な作物だったため、米の代わりにおからを使うようになったとか。宇和島は急峻な…
2026年7月28日 · 8:55
宇和島出身の大和田建樹が作詞した鉄道唱歌は、1900年に出版されました。新橋駅には大和田建樹直筆による鉄道唱歌第一番の歌碑が建てられています。歌詞は東海道編だけで334番、北海道編を加えると374番にも及びます。宇和島駅では、夏目漱石最後の弟子で、現代の新漢字・新仮名遣いの制定に携わった阿部良茂の碑文を見ることができます。宇和島は鉄道が開通するまで陸の孤島…
2026年7月27日 · 8:52
松山へ行くときは、最初は大分からフェリーで渡ることも考えたんですが、結局は羽田から松山まで飛行機で1時間20分、そこからレンタカーで宇和島へ向かいました。実は宇和島は、日本で、産婦人科を開業した楠本イネゆかりの地。父は、1823年に来日し鳴滝塾を開いて蘭学や医学を広めたシーボルトです。シーボルトが国外追放となったあとも、イネは西予市宇和町で暮らしました。江…
2026年7月23日 · 8:54
神楽坂は毘沙門天や大久保通りまでで引き返す人も多い街ですが、その先の新潮社まで歩くと、さらに魅力的な店や風景に出会えます。大久保通りを越えると明治時代に入り込んだような雰囲気があり、尾崎紅葉を慕って16歳で金沢から上京した泉鏡花の姿を思い浮かべました。鏡花は1889年に神楽坂に住んでいた尾崎紅葉のもとを訪ね、書生として住み込みながら小説家への道を歩み始めま…
2026年7月22日 · 8:55
神楽坂は雑貨店や画廊、カフェ、ワインバーなどが立ち並び、一日歩いても飽きない街です。坂を上ると江戸三大毘沙門天の一つ、善國寺の毘沙門天があり、五穀豊穣や商売繁盛、家内安全、長寿、立身出世の御利益で親しまれています。善國寺は徳川家康が開基した寺で、その裏手には江戸時代の武家屋敷をイメージして整備された新宿区立若宮公園があります。近くの若宮八幡宮は、源頼朝が奥…
2026年7月21日 · 8:55
神楽坂は東京の昔の面影ある街で、ゆるやかな坂道も魅力です。今回は、市ヶ谷側から坂を上ったところにある創業1869年のうなぎ店「志満金」を訪ねます。東京理科大学からも近く、夏目漱石の『坊っちゃん』の主人公が卒業した東京物理学校が現在の東京理科大学であることから、漱石もこの辺りを歩いていたことになります。私にとって志満金は、法政大学の書誌学者・長澤規矩也先生を…
2026年7月16日 · 8:53
松山や道後、宇和島を歩いていると、自転車に乗る人の多さに驚きます。子どもから高齢者までヘルメットを着用し、愛媛はまさに自転車王国でした。その背景には、日露戦争で松山に収容されたロシア兵捕虜のため、市民が自転車を貸し出し、1905年には自転車競走まで開いた歴史があります。宿泊した瀬戸内リトリート青凪で、夕食でいただいたのは愛媛あかね和牛。みかんなど柑橘類の搾…
2026年7月15日 · 8:55
道後温泉では、日本最初の軽便鉄道「坊っちゃん列車」に出会いました。1888年から67年間走り続け、夏目漱石の『坊っちゃん』にも「マッチ箱のような汽車」として登場します。松山の町を歩くと、どこへ行っても緩やかな坂が続き、『坂の上の雲』の舞台らしい風景が広がっています。道後の日本料理店「海舟」では、カミナリイカの耳をいただきました。カミナリイカはモンゴウイカの…
2026年7月14日 · 8:55
愛媛という地名は、『古事記』に登場する女神・愛比売に由来し、「愛するお姫様」という意味があるといわれています。今回は愛媛県民文化大学で、正岡子規や夏目漱石、中村不折、上田万年らが近代日本語を築いたことについてお話ししてきました。愛媛では県民のソウルフード・鯛めしも味わいました。『古事記』や『日本書紀』にも鯛にまつわる話が残り、今治では鯛を丸ごと炊き込む鯛め…
2026年7月13日 · 8:53
松山は、空港に降り立った瞬間から空気も光も人の雰囲気もやわらかくて、「ぼっちゃん」を書くためにこの地を訪れた夏目漱石も、きっと同じような驚きを感じたのではないかと思いました。街の中心には松山城がそびえ、市電が今も変わらず走る風景は、漱石の時代を思わせます。今回訪れた料理店では、神経締めで知られる今治の漁師・藤本さんの魚をいただきました。魚にできるだけストレ…
2026年7月9日 · 8:55
谷中霊園には、近代日本語の成立に大きく貢献した言語学者・上田万年の墓があります。上田万年は国語調査委員会を設立し、全国の方言調査や日本語の研究を進め、言文一致運動を主導しました。また、夏目漱石のイギリス留学を後押しした人物でもあります。猫の鳴き声を「ニャー」と表記するための小書きの「ャ」や長音符を考案し、漱石の作品にも用いられました。国定教科書では「お母さ…
2026年7月8日 · 8:54
海梆(かいぱん)は、寺院で食事の時間などを知らせるために打ち鳴らす魚の形をした木製の道具で、現在の木魚の原形とされています。魚は眠らず目を閉じないと考えられていたことから、不眠不休で修行に励む僧侶の姿を表しています。また、魚が口から玉を吐き出す姿は、悟りによって煩悩を捨てることを意味しています。根岸には普茶料理の店「梵」があります。普茶料理は中国・明代に生…
2026年7月7日 · 8:56
日暮里駅から根岸方面へ歩くと、書道博物館があります。書道博物館を創設した中村不折は洋画家でありながら書の収集家としても知られ、森鷗外の墓碑や新宿中村屋の看板の文字を書いた人物です。不折が集めた書のコレクションが収蔵されています。中村不折は正岡子規と親交が深く、1894年の日清戦争では、子規が文章、不折が絵を担当して戦地を取材し、その報道は近代日本語の成立に…
2026年7月6日 · 8:53
東京・谷中は、夕やけだんだんや谷中銀座がある、どこか昭和の面影を感じる街です。そして、この地には俳人・正岡子規が晩年を過ごした「子規庵」があります。子規は34歳11か月という短い生涯でしたが、俳句を近代文学として確立し、今につながる日本語の表現を築いた人物です。また、「野球」という言葉を広めたことでも知られています。病に倒れ、寝たきりとなってからも創作への…
2026年7月2日 · 8:54
茨城県は首都圏の台所とも呼ばれ、多くの農産物が生産されています。今回、その中で印象に残ったのが、白い花のような姿をしたハナビラタケでした。水戸では徳川ミュージアムを訪れました。偕楽園近くの高台にあり、水戸徳川家に伝わる美術品や古文書を所蔵しています。芝生の広場には徳川家康と徳川光圀の銅像が設置され、来館者が並んで写真を撮ることもできます。展示では、徳川家康…
2026年7月1日 · 8:55
笠間を巡った後、水戸プラザホテルに到着したのは夜8時過ぎでした。ホテルは発明王トーマス・エジソンの曾孫が設計したもの。ガラス張りの屋根から光が降り注ぐ大きなアトリウムが特徴です。2001年に完成した館内には緑があふれ、19世紀ロンドンのクリスタルパレスを思わせる空間が広がっています。宿泊した部屋には屋外ジャグジーが備えられ、満月を眺めながら過ごすことができ…
2026年6月30日 · 8:55
水戸の住宅街にあるレストラン・オオツでは、旬の山海の食材を生かした料理が提供されています。シェフは独学で料理を学び、素材本来の味を引き出すため、バターやクリームをできるだけ使わない調理を心がけています。カニやエビが苦手な私にはアワビのソテーが出され、アワビだけのだしと薄い塩味で仕上げられています。続いて提供されるローズポークは茨城県のブランド豚で、生後4か…
2026年6月29日 · 8:54
東京から水戸へは、常磐線で乗り換えなし約1時間。日帰りにもぴったりの距離です。水戸は那珂川や桜川が流れる“水のまち”で、偕楽園の梅や豊かな自然が楽しめます。冬の名物といえばやはりアンコウ。12月から2月が旬で、あん肝やどぶ汁はもちろん、江戸時代には「常陸の国のアンコウが上品」と記されたほどの名物でした。実はアンコウは冬だけでなく、春には刺身、フレンチではポ…
2026年6月25日 · 8:54
ゴールデンウィークの笠間では、陶芸の里・笠間芸術の森で笠間の「陶炎祭(ひまつり)」が開催されます。200を超える陶芸家が作品を展示販売する陶芸市で、来場者が茶碗やぐいのみを作れるワークショップも行われています。笠間は栃木県の益子にも近く、車で約40分ほどの距離にあります。笠間と益子は「かさましこ」と呼ばれ、日本遺産「兄弟産地が紡ぐ焼き物語」の舞台。両地域を…
2026年6月24日 · 8:53
笠間の道の駅では、この時期になると摘果メロンが人気です。摘果メロンは手のひらほどの大きさの若いメロンで、生のまま塩をつけて食べると、メロンのほのかな甘みとキュウリのようなみずみずしさが楽しめます。マヨネーズを添えたり、一夜漬けにしたりしても美味しく、午後には売り切れてしまうほどの人気です。また、道立派な自然薯も並んでいます。自然薯は地中深くまで伸びるため、…
2026年6月23日 · 8:54
笠間は栗の産地として知られ、「栗のいえ」では笠間産の栗を使ったデザートを楽しむことができます。江戸時代から続く庭や旧町長宅だった建物も残されています。栗は果物として扱われますが、デンプンを約40%含み、じゃがいもやさつまいもと同じように炭水化物が豊富な食べ物です。そのため縄文時代から貴重な食料だと考えられていました。笠間には弥生時代から古墳時代にかけての遺…
2026年6月22日 · 8:55
笠間市は東京から車で2時間半ほど。今の季節は栗の花の香りや若葉が美しく、のんびり散策するのにぴったりです。笠間稲荷神社の参道には、お狐様やお社を売るお店が並び、赤い鳥居が新緑に映えていました。境内には樹齢400年ともいわれる「オニグルミ」の御神木があり、縄文時代から続く自然の歴史を感じさせてくれます。一方、お稲荷様は稲作と結びついた弥生時代の信仰。笠間には…
2026年6月18日 · 8:55
宇治川を眺めていると、中州の形が「仁」という漢字のように見えました。仁とはもともと親子の愛情を表す言葉でしたが、孔子はそこに広く人を思いやる心という意味を与えました。そんなことを考えながら、宇治の風土や文化に流れる優しさについて思いを巡らせます。宇治では初夏になると鮎の季節を迎え、伝統的な鵜飼が行われます。なかでも宇治の鵜飼は、人工孵化で生まれたウミウを女…
2026年6月17日 · 8:56
以前から訪れたいと思っていた宇治を訪ね、宇治橋断碑をみました。宇治橋断碑は日本現存最古級の石碑の一つで、大化の改新の翌年である646年に架けられた宇治橋を記念して建てられました。現在は三分の一ほどしか残っていませんが、宇治橋建立の記録は複数の歴史資料にも残されており、古代から交通の要衝だった宇治の歴史を今に伝えています。碑文には、流れの速い宇治川を渡れず人…
2026年6月16日 · 8:55
雨の降り始めた宇治を訪れ、宇治川沿いで1840年創業の老舗料理店の二階から川の流れを眺め、源氏物語の「宇治十帖」に思いを巡らせました。宇治は古くから都を離れた人々が集う場所ともされ、その地名も「憂い」に由来するという説があります。そんな人々の不安や悲しみに寄り添うように建つのが平等院鳳凰堂です。平安時代、人々は末法思想により世の終わりへの恐怖を抱いていまし…
2026年6月15日 · 8:55
京都で仕事の合間に、そろそろ茶摘みの季節だと思い、宇治へ向かいました。途中で乗り換えた中書島は、かつて大きな池と蓮の花が広がる風光明媚な場所で、戦国時代から歴史を刻み、明治から戦後にかけては花街としても栄えました。そのにぎわいを支えたのが、伏見の名酒です。伏見の酒は「女酒」と呼ばれます。琵琶湖から流れる宇治川のやわらかな水で造られるため、口当たりが優しいの…
2026年6月11日 · 8:53
先日、水戸に行ってきました。水戸といえば納豆、そして黄門様です。水戸黄門こと徳川光圀は、テレビや小説では全国を旅して悪人を退治する人物として知られていますが、実際には江戸と水戸を往復することが多かったといいます。水戸納豆は、藁で大豆を包み発酵させたもので、藁は稲の茎であり、米と豆が結びついた食べ物が納豆です。納豆の起源には、馬の餌の煮豆を数日放置したことで…
2026年6月10日 · 8:55
浜松の名物「浜納豆」。糸を引かない納豆で、黒い小石のような見た目をしています。浜松の強い風とカラッとした気候を活かして天日干しで作られます。戦国時代、徳川家康は浜松城を拠点としていましたが、浜松は家康にとって苦い土地でした。武田信玄との三方ヶ原の戦いで大敗し、何度も負け戦を経験しました。泥と汗にまみれた家康のそばにあったのが浜納豆でした。浜納豆は大豆を麹で…
2026年6月9日 · 8:55
皆さん、納豆はお好きですか? ネバネバとかき混ぜていると、不思議と元気が湧いてくる気がしますよね。そんな納豆ですが、実は北海道とも深い縁があります。北海道は大豆の一大産地で、おいしい納豆作りに欠かせない場所なんです。その発展に大きく貢献したのが、北海道帝国大学の研究者・半沢洵先生。かつて納豆は藁に包んで作るのが一般的でしたが、半沢先生は納豆菌を培養して製造…
2026年6月8日 · 8:54
皆さん、納豆はお好きですか? ネバネバとかき混ぜていると、不思議と元気が湧いてくる気がしますよね。そんな納豆ですが、実は北海道とも深い縁があります。北海道は大豆の一大産地で、おいしい納豆作りに欠かせない場所なんです。その発展に大きく貢献したのが、北海道帝国大学の研究者・半沢洵先生。かつて納豆は藁に包んで作るのが一般的でしたが、半沢先生は納豆菌を培養して製造…
2026年6月4日 · 8:54
長崎で栽培されているジャガイモの品種に「ニシユタカ」があります。皮が薄く形が崩れにくいため煮物に適しています。このジャガイモは以前「デジマ」という名前で呼ばれており、その歴史は江戸時代まで遡ります。1808年に起きたフェートン号事件では、イギリス軍艦がオランダ国旗を掲げて長崎港に侵入し、オランダ人を拉致しました。人質解放の条件として水や薪とともにジャガイモ…
2026年6月3日 · 8:54
フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』は一度見たら忘れない絵です。大村湾周辺では、子供の頃、海に潜るとアコヤ貝が岩に多く張り付いており、炭火で焼いてバター醤油で食べる習慣がありました。時には貝の中から真珠が出てくることもあり、四つ葉のクローバーを見つけた時の嬉しさがありました。真珠養殖で有名なミキモトですが、大村湾では高島末五郎が昭和12年に、真珠を丸く美し…
2026年6月2日 · 8:55
江戸時代の大村藩があった地域は、かつて「肥前彼杵(ひぜん そのぎ)」と呼ばれていました。室町時代末期の1561年、平戸を追われたポルトガル船とキリスト教の神父たちが、大村湾入口の横瀬港を見つけます。領主・大村純忠は、ポルトガルとの貿易によって領地拡大や勢力拡大ができると考え、キリスト教を受け入れました。1563年には大規模なキリスト教布教も始まります。大村…
2026年6月1日 · 8:53
東京から飛行機で1時間半ほど。長崎空港は大村湾に浮かぶ島にあって、着陸前に見える景色が本当にきれいなんです。大村湾は山に囲まれた穏やかな海で、塩分濃度が低く、水がやわらかいと言われています。そのおかげで、アナゴやヒラメなど魚もおいしいんですね。そんな大村には、田植えの後にいただく「さなぼり」、稲刈り後の感謝を込めた「かまあげ」という食文化も残っています。そ…
2026年5月28日 · 8:54
武雄には、宇宙ステーションのような外観をした佐賀県立宇宙科学館「ゆめぎんが」があります。ここではJAXAと佐賀県が連携した「JAXA佐賀スクール」が行われ、自然科学や宇宙への興味を育てています。館内には自然科学系の本を集めた図書館やブックショップもあります。また、武雄市立図書館は開放感があり、自由に本を選んで読める居心地が素晴らしく良い空間です。武雄には、…
2026年5月27日 · 8:54
江戸時代、鎖国をしていた日本では、ヨーロッパや中国大陸から入ってきた文物は長崎街道を通って福岡、大阪、江戸へ運ばれていました。その街道沿いにある多久という町には、日本最古と言われる孔子廟があります。また、多久にはここにしかない伝統野菜「女山大根」があります。女山という山で育つことからその名が付けられました。女山大根は白ではなく赤く、長さ約八十センチ、胴回り…
2026年5月26日 · 8:55
嬉野温泉では、温泉に浸かりながら何も考えず、ぼーっとしていると、つらいことも消えていくように感じられます。地元の人に勧められて旅館・大村屋を訪れると、ラウンジには、佐賀県出身の書家・中林吾竹の「書代万」という書が目に入ってきます。町が火事になった際、当主が川に入って守ったという話も残っています。嬉野温泉名物の湯豆腐は、とろみのある温泉のお湯でゆっくり煮込ま…
2026年5月25日 · 8:53
嬉野へは、博多から特急リレーかもめを乗り継いで、西九州新幹線に乗れば東京からでも午後には到着できます。塩田川が流れ、歩いているだけで心がほどけていくような場所です。観光とは、その土地の“光”を見つけ、学ばせてもらうこと。そんな言葉がぴったりの町だと感じます。嬉野温泉は日本三大美肌の湯のひとつで、歴史も古く、さらに580年以上続く嬉野茶の産地としても有名です…
2026年5月21日 · 8:53
伊万里のメインディッシュは、伊万里牛です。但馬牛の血統を受け継ぐ伊万里牛は、地元の固有の土地と牧草で育てられることで、他の銘柄牛とは異なる独特の美味しさを生み出しています。外国人からも絶賛されるほどの逸品です。このおいしい伊万里牛を盛るにふさわしい器が、伊万里焼の最高峰である鍋島です。佐賀鍋島藩の秘窯「大川内山」で作られてきた鍋島は、江戸時代には将軍家や諸…
2026年5月20日 · 8:55
佐賀は南国で豊かな土地であり、佐賀の人々は非常に徹底した性質を持っています。商売では利を取り切り、交渉では甘さがなく、行動力に優れながらも倹約や合理性を徹底しているのが佐賀人の特徴です。しぶとい性質を持ちながらも、つらい顔を見せず、ニコニコ笑顔で対応するあっさりした気質が魅力です。…
2026年5月19日 · 8:55
佐賀県伊万里地域は、古くから豊かな自然と文化で知られています。伊万里湾はリアス式海岸で、潮が東から西へ雷のような音を立てて湧き上がる壮観な現象が見られます。この地で古伊万里焼や有田焼などの陶磁器が生まれ、現在ではジャポニズムの影響で世界中で高い人気を集めています。…
2026年5月18日 · 8:54
伊万里へ行くなら、東京からは福岡空港が便利です。レンタカーで1時間20分ほど走ると、海と山に囲まれた独特の景色に出会えます。まるで中国の山水画のような風景や、小さな島々が浮かぶ静かな湾が広がっていて、昔はここから伊万里焼がヨーロッパへ輸出されていました。台風の影響を受けにくい天然の良港だったそうです。さらに伊万里湾では車エビの養殖も盛んで、植物性プランクト…
2026年5月14日 · 8:55
浜松を訪れ、春キャベツの美味しさとその背景にある風土を体感しました。キャベツは餃子などに使われるものの主役にはなりにくく、指定野菜の多くも同様に目立たず食生活を支える存在です。浜松から渥美半島にかけてはキャベツ畑が広がり、強い風の中で育つ環境が特徴です。キャベツが丸く巻くのは「結球」という性質と風の影響によるもので、葉が傷むのを防ぎ水分を保つため、内側へと…
2026年5月13日 · 8:54
軽井沢の澄んだ空気には、身を引き締めるような厳しさがあり、その雰囲気に合うのが辛味大根を添えたそばです。小ぶりな辛味大根は、すりおろすと鋭い辛さで人を目覚めさせる力を持ちます。一方で、日本各地には多様な大根が存在します。鹿児島の巨大な桜島大根、北海道で夏に出荷されるみずみずしい青首大根、東京・練馬の水分が少なく硬い練馬大根など、それぞれ気候や土壌に応じた特…
2026年5月12日 · 8:54
国が指定している「指定野菜」。これは日本人の食生活を支える重要な野菜を安定供給するための制度で、現在は15品目が指定されていて、今回のテーマ「じゃがいも」も含まれています。北海道・帯広の広大な畑で育つじゃがいもは、寒冷な気候と広い土地、さらに開拓期の奨励政策によって発展しました。南米アンデス原産のじゃがいもは寒さに強く、開拓者たちの重要な食料となり、現在で…
2026年5月11日 · 8:54
国の指定野菜でもある「きゅうり」をテーマにしたお話です。高知へ向かう途中、海が見えた瞬間に空気がふっと変わり、甘くて湿り気のある南国らしさを感じます。この水の豊かさこそが、野菜のおいしさを支えているんですね。きゅうりは奈良・平安の頃には「コカ」と呼ばれ、当時は黄色く完熟するまで待って食べていました。それが江戸末期から明治にかけて、青く若いうちに食べる今のス…
2026年5月7日 · 8:54
奈良県の當麻(たいま)に行ってきました。當麻の名物、よもぎ餅「中将餅」を食べに朝早く向かったのですが、お店の前はもうすでに人でいっばいでした。売り切り御免の中将餅は、よもぎが搗き込まれた餅の上に、餡を控えめにのせたもの。なんといっても、食べた瞬間、お店が独自の畑で栽培しているというよもぎの香りが立ちのぼります。甘さよりもまずやってくるのは「野のにおい」です…
2026年4月30日 · 8:54
奈良・斑鳩の地に佇む法隆寺。世界最古の木造建築として知られていますが、その価値は「古さ」だけでは語りきれません。アーネスト・フェノロサのような存在が、日本の美を見出し、外へと開いていきました。その結果、法隆寺は1993年、日本で初めて世界遺産に登録されるに至ります。日常の中では気づきにくい価値。それは食にも通じます。奈良の朝にいただく「茶がゆ」は、静かで素…
2026年4月28日 · 8:55
法隆寺に行ってみるとガラーンとしていました。 日本を代表する古いお寺です。でも、圧倒される感じを受けたり、感動することもありません。あって当たり前という感じでした。奈良市内から40分。法隆寺に近づくにつれ、なぜか言葉も少なくなって、喋らなくてもいいんじゃないかという気持ちになってきました。その道すがら「柿の葉寿司」を食べました。握った時の柿の葉のザラザラし…
2026年4月27日 · 8:54
奈良市内から法隆寺までは車で40分ほど。着いてみると、やっぱり特別な場所で、壮大なのにまったく威張っていない。古いのに、どこか軽やかで、余計なものが削ぎ落とされて、祈りだけがすっと立っている、そんな感じがしました。この寺を築いた聖徳太子が、どんなものを食べていたのか、ふと考えたんです。ひとつは、中国大陸から渡って来た「蘇(そ)」、牛乳を煮詰めたチーズのよう…
2026年4月23日 · 8:54
今年の春のお彼岸は3月20日、最近は春分の日という言い方が一般的ですが、奈良ではやはりお彼岸という言葉に特別な意味を感じます。奈良七大寺に代表されるように、古くから仏教の教えが息づく土地で、「彼岸へ向かう」という感覚が自然とあります。「山笑う」という季語の通り、若草山もにっこり微笑むような春の表情でした。…
2026年4月22日 · 8:55
ホテルで窓から景色を見ていると、部屋に案内してくれた若い男性が、一山向こうが和歌山、 そして三重にも近いことを教えてくれました。ホテルの近くの日本料理の店に行ったら、隣の和歌山にも近いということを感じさせてくれる、驚きのものを食べさせてくれました。和歌山の磯間港でとれた「しらす」をのせた「しらす丼」です。伝統の小曳網漁(こびきあみりょう)で傷つけないように…
2026年4月21日 · 8:55
奈良で泊まりたかったところに泊まってきました。奈良市役所の目の前、1300年ほど前、奈良時代に長屋王が住んでいたところです。本来なら天皇になっていたかもしれない方です。なんだかその場所に立つと急に身近に感じられました。そこで、長屋王と同時代に生きた阿倍仲麻呂も思い出しました。遣唐使として長安へ渡り、望郷の念を抱えたまま異国の地でなくなった仲麻呂。「天の原…
2026年4月20日 · 8:55
奈良を訪ねて、春を呼ぶ行事・お水取りと、その背景にある食のかたちを見てきました。ちょうど時期が重なり、奈良国立博物館での特別展も訪問。東大寺二月堂のお水取りは、人々の無事や再生を祈る大切な行事です。博物館の展示の中で特に印象的だったのが、僧侶たちの食事の献立です。江戸時代の資料なんですが、今もほとんど変わらず、とても質素。ご飯に味噌汁、少しの煮物。でもその…
2026年4月16日 · 8:54
浜松で出会ったのは、食用のほうずき。口に含むと、蜂蜜と塩が溶け合ったような、まるでマンゴーのような甘さが広がります。もともと薬として用いられてきたほうずきは、近年、浜松を中心に食材として新たな価値を見出されています。日照時間の長い土地と、料理人の工夫によって、熟成させた実を丁寧に仕立てることで、まったく新しい味覚が生まれました。薬から食へ。ほうずきは、自由…
2026年4月15日 · 8:55
夏も近づく八十八夜。今年は5月2日です。この頃になると、鮮やかな黄緑の新芽が芽吹き、それる摘み取る茶摘みが茶どころ掛川でも始まります。掛川のお茶で最も有名なのは「やぶきた」という品種。明治41年、在来種の一部に、おいしいお茶があることを発見した茶農家の杉山彦三郎に名付けられました。「やぶの北に生えていたから」というのが理由でした。掛川では「茶草場農法」とい…
2026年4月14日 · 8:56
浜松でも希少でめったに食べられないものを2つ食べることができました。 ひとつは浜松の南側に広がる遠州灘の「ふぐ」。全国有数の天然のふぐの産地と言われますが、「延縄漁(はえなわりょう)」で1尾ずつ丁寧に釣り上げられるふぐは、傷がついていず、旨味も損なわれていません。その白子のふわふわした味わいは絶品でした。そしてもうひとつ、こちらは本当に希少な「浜根トリュフ…
2026年4月13日 · 8:55
月曜日はやっぱり浜松名物、うなぎです。浜名湖のうなぎって有名ですよね。で、うなぎって“ふかふか派”か“カリカリ派”かで好みが分かれるんですが、浜松あたりはちょうどその境目。お店によって焼き方が違うのも楽しみなんです。今回入ったお店はカリッカリの地焼き。そこに浜松・春野町の“ぶどう山椒”をかけると、柑橘っぽい爽やかな香りがふわっと広がって、これがまた絶品。さ…
2026年4月9日 · 8:54
スーパーの野菜売り場で、どこか心を和ませてくれる、青梗菜。やわらかな葉とシャキシャキした茎、その穏やかな佇まいは、まるで鳩のようなやさしさを感じさせます。静岡県袋井市は、日照時間の長さと豊かな水に恵まれた青梗菜の名産地。青=緑の葉、梗=しっかりとした茎という名前の通り、その食感と味わいは、土地の力をそのまま映し出しています。一方で、同じくシャキシャキとした…
2026年4月8日 · 8:55
その土地のお水がおいしくないとおいしいお米はできません。袋井市も水に恵まれ「きぬむすめ」というおいしいお米が穫れるところです。一方、水が豊富にあるということは、恵みである反面、害もあります。袋井は歴史的に何度も水害にあっている場所でもあります。特に1860年の台風による高波では甚大な被害を受けました。その被害を受けて、先人たちは、街の中央に緊急避難場所にな…
2026年4月7日 · 8:55
「マスクメロン」のマスク、実はかぶるマスクのマスクではありません。MUSK。つまり「麝香(じゃこう)」のことなんです。イギリスから日本に入ってきたマスクメロン。英国人が「MUSK」をマスクと発音していたこと、そしてマスクメロンの香りが「麝香」に似ていたことからこの名になったんだそうです。袋井市はマスクメロンの名産地です。「静岡クラウンメロン」は品質の高さが…
2026年4月6日 · 8:55
今週は静岡県袋井市のお話。今日は、江戸時代から伝わる料理「たまごふわふわ」のお話。袋井駅前には正岡子規の句碑もあり、風情ある町です。駅近くの寿司店「山梨屋」では、この名物が味わえます。開店前から人が並ぶ人気で、注文して20分ほどで登場。お椀からこんもり盛り上がるメレンゲ状の卵が出汁にのり、上にはセリが添えられています。ふわっと軽い口当たりながら、とても熱く…
2026年4月2日 · 8:55
お米は磨くことでお酒へと姿を変えます。外側を削り落とし、中心の澱粉質を引き出すことで、その価値は一段と高まる。“磨く”という行為は、時間と手間をかけて、本質を際立たせることなのかもしれません。その考え方は、身近な食材にも通じています。人参は外側に甘みが蓄えられ、大根は部位によって味わいが異なる。どこに旨みがあるのかを知り、使い方を工夫することで、同じ一本の…
2026年4月1日 · 8:54
日本の南・石垣島では今ごろ、稲の田んぼは一面緑色です。1月に植えた苗を5月中旬に収穫します。超早場米と呼ばれ、日本で一番早くお米が実る場所です。一方、日本の水稲栽培の「北限」である、北海道遠別町では、田植えは5月の末から6月の初め。刈入れは9月末から10月初旬に行われます。作るお米も石垣島は一般的な「うるち米」、遠別町は「もち米」。お米はせんべい、上新粉、…
2026年3月31日 · 8:55
先日、石川県加賀市で、かつての教え子にお願いして講演会を開きました。 書家の彼は、一緒に行ったお寿司屋さんで出されたお刺身がのった「九谷焼」のお皿を見て、こんなことを言いました。「なんとお刺身の映えるお皿でしょう」と。この時「器は味を変えている」と思いました。着るものによって人が変わるように。日本には磁器の文化と陶器の文化があります。磁器は冷えやすく温度が…
2026年3月30日 · 8:53
ちゃんぽんという言葉は、「混ぜる・混合する」という意味があります。今でも長崎では「何でもちゃんぽんにすればよかたい」といった言い方が残っています。組み合わせによって味の方向が決まります。ローリエを入れればフレンチ風、トマトならイタリアン、だしや味噌なら和風といった具合です。最近はその手助けをしてくれるのがAIです。冷蔵庫にある食材を伝えると、和風・洋風など…
2026年3月26日 · 9:16
東京・丸の内といえば、老舗の社交場「東京會舘」。そして東京會舘といえば、名物のコンソメスープです。スーパーで見かける顆粒のコンソメとは違い、本来のコンソメは、牛肉や鶏肉のブイヨンにさらに肉や野菜、卵白を加え、丁寧に澄ませて作る琥珀色のスープ。東京會舘では、このスープを完成させるのに三日間をかけます。ブイヨンを作り、素材を加えて煮込み、布でこして澄ませる。そ…
2026年3月25日 · 8:56
千代田区丸の内には1丁目から3丁目までありますが、何世帯何人のかたが暮らされているかご存知ですか? ちょっと驚くかもしれません。この丸の内の名前がついた地下鉄「丸ノ内線」(地下鉄はカタカナの「ノ」)の「赤い色」。英語では「スカーレット」と呼ばれる赤。なぜこの色になったのか?…
2026年3月24日 · 9:18
フライドポテトで、世界で最も有名な国はベルギーだと思います。このベルキーと丸の内はつながっています。そのつながりを持つ場所が「KITTE」という商業施設です。その2,3階には「インターメディアテク」という博物館があり、そこにはベルギーから送られた「色のない地球儀」が展示されています。なぜ色がつけられていないのか?…